方便

方便とは言いえて妙な言葉だ。
キース・ジャレットのスタンダーズCDを聴いている。

スタンダード曲集としてのメロディを楽しむこともできるが
曲中や曲間で主メロとは違うそれを上回るようなメロディが
でてきて、こりゃ誰もかなわない、と。

それをするためにはスタンダード曲をそのまま演奏する、という
いわば助走期間のようなものが必要で、それを繰り返しているうちに

彼の中でメロディが湧き上がってきてそれをそのままピアノをとおして
音にしているのだと思う。


彼は2000年前後(詳しい年代を憶えていない、ごめんなさい)
にピアノが弾けなくなってしまう。

なんとかいう難しい名前の病気に罹ってしまうのである。

その後、復帰して同じように同じ編成で今日まで同じレーベルからCDを出し続けている。


でも、復帰後のCDを機会あるごとに聴くにつれ(2枚組が多い)
これは彼の生きていくための方便なのかな、と、うなづきながら聴いてしまう。

演奏フォーマットは残っていて(ベーシストとドラマー。これも奇跡的なことだ)
演奏すべき曲も一杯あるのだが、何かが違う。



いつからかは憶えていないが自分の中で今の仕事も
ある意味生きるための方便だと思っている。


スキルアップをはかって高収入を、なんていうのはもうあまり考えていない。


生きていくための収入を得られればそれでいいではないか、という考え方もある。
ましてひとりで生きているわけではない。



レコードを換えてビル・エバンスジム・ホールの「アンダーカレント」を聴く。



ここには方便などない。



表現したい対象がはちきれんばかりに充満しているのにそれを表現できるフォーマット(共演者)をさがしている者たちのうたがメロディがデーモンが聞こえる。
このレコードに収められている曲を彼らは二度と演奏していない。


収録されている曲そのものはメロディアスな曲が多いが
このレコード自体、辛気くさくて聴くのもいやになってしまうこともある。
何度か売り払ってしまおうと企てたこともある。



そしていつも棚に戻してしまうのはライナーの中山康樹氏の文章による。
「当日、2人は音楽的欲求が満たされないままスタジオへ入ったことだろう。
そして、想像への希求が音となってあらわれたとき、2人は至福の境地に
立ち至ったことだろう。・・・・当日の2人がいかに運命的ともいえる糸に
結ばれて共演したか。。。。。」




これからの生きていく時間の中でこんな至福に対峙する瞬間がおとづれることが
あるだろうか。

音楽

アンダーカレント+4

アンダーカレント+4

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